和鉄のふるさと安来を訪ねる
1月も半ばを過ぎ15日の小正月を迎えた。これから20日の大寒を過ぎてから、
2月上旬までの3週間程が、一年中で最も寒い日が続くといわれている。
当地(新潟県三条市)も6日の仕事初めから寒波が降り、既に30センチを超える積雪がある。
毎年の事ながら朝起きてからの除雪が日課となっている。
殆どが車通勤のこの地区は、通勤時間もいつもの倍かかる。冬季の雪国は、覚悟が必要である。
さて、私は昨年11月 島根県の安来市を訪問した。
念願の“和鉄のふるさと”安来市に行くことが出来た。電車旅である。
燕三条を出発し上信越新幹線で東京まで約2時間、東海道新幹線に乗り替え、
岡山まで約3時間、岡山から伯備線に乗り継ぎ90分で宿泊地である鳥取県米子駅に到着した。
米子駅から目的地の安来駅までは一駅である。
安来市は島根県の東端に位置し、鳥取県との県境にある。安来の西側にある
出雲を含むこのエリアは、古墳が数多く発掘されており、弥生から古墳時代にかけて
約500年の間、筑紫、大和と並ぶ連綿と栄えた地域である。更に鉄器も北九州に準ずる
製鉄遺跡が発掘されている。当時は、鉄不足の時代で、島根県で生産される鉄は、
大和地方へ供給されヤマト朝廷建国の原動力となったという説がある。また、古代より
中海に面した天然の良港、安来の港は古くから朝鮮半島との交易も盛んであった。
江戸中期に入ると日本の商品経済が発展し北前船(日本海を通る、大阪から
北海道東岸までの相互航海ルート)による交易が盛んになり、奥出雲側(安来市の南部)
の鉄資源が、船積みされた。その際、安来湊が重要港となり山陰地区の和鉄を
一手に取り扱う一大商都と成長した。当時、この地は、国内の鉄生産量の80%以上にも
のぼる鉄の製造・流通を取り扱い、繁栄を極めた。ここで生産された鋼は「安来鋼」
というブランド名で現在、株式会社プロテリアル(旧:日立金属株式会社)が製造を
続けており、日本有数の鉄鋼開発拠点となっている
当社の金型も長きにわたって「ヤスキハガネ」を使用している。安来市には、
和鉄の伝統を伝えるための総合博物館として「和鋼博物館」が常設されている。
ここで鉄のルーツを一同に学ぶことができる。
館名の「和鋼」は、我が国で近代以前に行われてきた砂鉄を原料に木炭を燃料として
「たたら」で生産される玉鋼のことである。「たたら製鉄」、と聞けば宮崎駿のアニメ作品
『もののけ姫』を思い起こすのではないだろうか。照葉樹の山地を舞台にした、
中世日本を思わせる世界からこの作品で、初めてたたら製鉄の様子を映像として見た、
という方も多いことだろう。
鉄生産は、中国地方では古くからおこなわれた。それは、その地域(中国山脈一帯)が、
良質の砂鉄と豊富な森林資源(砂鉄を溶かす木炭)に恵まれていたからである。
その製鉄の起源は、6世紀頃までさかのぼることが出来る。更にさかのぼれば、
製鉄技術は、弥生時代の初期に(紀元前200~300年前)朝鮮半島から伝わったと思われる。
砂鉄は、花崗岩の中にわずか数パーセント含まれるにすぎない。
その砂鉄からを木炭で昼夜加熱し玉鋼を作り出す技術が「たたら製法」である。
「たたら製法」は、日本古来の製鉄法である。 私は半日、和鋼博物館を見学することが出来た。
帰り際、案内員の方から
「平日で来場者も少ないので日本刀を持ってみてください」
と勧められ真剣を握ることが叶った。