寺子屋”ZEN”は新潟県三条市の工具メーカーに勤務40年の丸山善三がお届けするWebメディアです。

“鉄”のはなし

新年あけましておめでとうございます。

年初の話は、以前より自身の中で温めていました、鉄に関する内容を、熱く語りたいと思います。いきなりの長い文章となりますが、しばしお付き合いください。

当時私の住んでいた近隣は鍛冶場が住宅地の至る所に在って日の出と共に鉄を叩く槌音が響いていた。「鉄の匂い」この表現を説明すると赤く熱した鉄を叩きながら形を作っていく。その時に飛び散った鉄粉が空気中に浮遊し、あの独特の匂いを漂わせる。例えれば、鉄棒を握った後の手の中に残るツーンとした独特の匂いにも似ている。

そんな環境の中で育った私は、小学校六年生の夏休みに自由研究で金属の錆のでき方を調べたことがあった。それは、近くの工場から出た鉄くずやベーゴマ、真鍮のネジ釘、一円玉の錆の発生を調べたものであった。改めてその大学ノートを見てみるとそこには、観察記録が何色もの色鉛筆を使ったスケッチ画と共に几帳面に書かれてあった。

すっかり鉄の記憶の話しから、前置きが長くなってしまった。次に話を進める。

さて人類は、今日、当たり前のように鉄に囲まれている。かつて一九世紀にドイツを統一し鉄血宰相と称されたビスマルクは、「鉄は国家なり」と語っていた。まさに鉄と云う金属の本質を見事にとらえた言葉である。

 地球が誕生した時、様々な粒子がばら撒かれ原子が生成され鉄ができた。地球は、鉄が主成分であり偶然の産物によって誕生した。鉄が「天の金属」と云われる所以である。様々な形で地球上に落下する隕石は、鉄を含有しそれを(隕鉄)初めて目にした古代人にとっては天からの贈り物であったはずだ。

人類が初めての製鉄技術を会得したのは、紀元前一七〇〇年頃である。この製鉄法は、鉄鉱石から得た純鉄を更に加熱し打ち込む製鉄法で人類が初めて国家として鉄をつくりだした。その国は、トルコのアナトリア半島に住んでいたヒッタイト帝国である。その後、鉄は中国、朝鮮半島を経て日本には弥生時代(紀元前三世紀)入って来た。

中国で鉄が物質として確認されたのは、今から三三〇〇年前ころと云われる。当時は、宇宙から落下した隕石を利用したものであった。しかしこれも隕鉄であって作り出された鉄ではない。しかし春秋戦国時代(紀元前八~三世紀)になると、鉄はかなり浸透していた。紀元前一一〇年、前漢の武帝は各地に「鉄管」を設置し鉄の流通管理を行いその動向を直接国家が掌握したのである。ここでもドイツのビスマルクが云った「鉄は国家なり」の言葉が思い起こされる。中国の歴史書「三国志東夷伝」をみると倭の国では鉄を道具として使っていただけでなく、通貨としても使われていたことが分かる。天の金属、鉄の威光が、卑弥呼の時代でもあった事実をうかがい知ることができる。

 我が国で三~四世紀ころ存在していたとみられるヤマト王権は、支配地域を広げていくなかで、隣国、朝鮮半島にあった国と鉄をめぐって争い、鉄製の武器で支配力を示したと考えられている。当時から鉄の重要さは認識され、鉄無くして国家の歴史を語ることは不可能と云えるのではないか。

ジブリ映画『もののけ姫』たたらを踏むシーン

さて、大陸から我が国に伝わった製鉄技術は、中国や朝鮮半島で行われていた鉄鉱石を加熱して溶け出した物質から鋼をつくる「間接製鋼法」とは、異なり「たたら製鉄法」と呼ばれる方法である。たたら製鉄の場面は、映画「もののけ姫」にも登場した。それは、粘土製の炉の中に原料となる砂鉄と木炭を入れ、木炭の燃焼熱により砂鉄を還元する独自な製鉄技術である。(直接製鋼法)そのルーツは前述のトルコのヒッタイトで誕生した製鉄法である。(たたらの語源はタタールだとする一説もある)たたら製鉄は、良質な砂鉄を産する山陰地方で盛んに行われた。出雲のたたらでは三~四昼夜の連続作業で、原料となる砂鉄と木炭をそれぞれ一三トン要する。そこから産出される鉄は四トン、日本刀などの原料となる良質な玉鋼(たまはがね)は一トンにも満たない。これ等は近年に入り山陰で発掘される鉄の遺物中に多く見い出される。またこの傾向は、日本海を北上し新潟方面にまで及び、日本海側が鉄の流通にとってきわめて重要な地域あったことが分かる。   

遥か日本海を望むと対馬海峡に乗って北に進んでいく北前船の情景が浮かんでこないか。

たたら製鉄によって作り出される和鉄は、砂鉄と木炭と云う日本の風土から産出された良質な素材からそこに日本人の匠の技を結実させた製鉄技術の傑作品と云えるのでないだろうか。

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