武器でなく命の水を
百の診療所より一本の用水路を
-日本人医師中村哲、アフガニスタン30年の戦い-
今日(11月26日)『荒野に希望の光をともす(劇場版)』の試写会に行ってきた。
主人公は日本人医師“中村哲”である。“中村哲”は、日本人医師としてアフガニスタンに赴任した。
そこで氏は、伝染病・感染症等の医療処置を施し、多くの診療所も建設した。
しかしながら旱魃(かんばつ)対策が最重要として認識するに至り聴診器をシャベルに
持ち替えて井戸を掘り、堰を造り、灌漑施設(用水路)建設に命を懸けた。
この活動は、「緑の大地計画」として約2億円に及ぶ日本の民間支援により賄われている。
(2003年より開始)「緑の大地計画」は、氏の功績により、砂漠に水の恵みを与え、
16500haの緑地を蘇らせ、60万人の生命を支えた。
映画は、氏が1984年、パキスタンの都市、ペシャワールの病院へ医師として赴任してから
2019年12月4日凶弾に斃れるまでの30有余年の平和活動としての闘いの記録を
劇場版公開したものである。既に医師中村哲が他界してから6年が過ぎている。
氏は、多くの著作を遺し命の大切さを私達に改めて教えてくれる。今まで映像公開は、
数回行われてきた。しかしながら今回の公開映像は、戦火のアフガニスタンで21年間
カメラを回し続けた映像から、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と
現地最新映像を加え劇場版としてリメイクしたものである。正に混沌とする時代の中で、
より輝きを増す中村哲の生き方を追った衝撃のドキュメンタリー作品である。
私自身としては、特に小中学生の子供達から若い方々に是非鑑賞してもらいたいと感じた。
ここで故・中村哲の意思を全面的に引き継いでいる、
「ペシャワール会・PMS(平和医療団・日本)」の概要について少し補足したい。
ペシャワール会は、中村哲医師のパキスタンの医療活動を支援する目的で1983年9月に
氏の故郷でもある福岡市に結成された。現在は、主にアフガニスタンにおける医療活動、
灌漑水利事業等、総合的に農村復興事業を支援し、300人現地法人を有している。
以下、要約して述べたい。
―「ペシャワール会・PMS」の主な活動―
- 1986年:アフガニスタン難民への本格的な診療を開始。
- 1988年:5月、旧ソ連軍アフガニスタンより撤退開始(翌年2月撤退完了)
- 1990年:日本人の協力スタッフ藤田千代子看護師が着任(PMS支援室室長)
- 1991年:湾岸戦争勃発。アフガニスタンに最初の診療所を開設。医療活動を開始。
- 1992年:アフガニスタン難民の爆発的な帰還が始まる。
- 1993年:悪性マラリアの流行による日本国内での緊急募金を決行し2万人以上の治療が行う。
- 1998年:ペシャワールの地にパキスタン及びアフガニスタン両国の恒久的病院としての 『PMS基地病院』設置した。
- 2001年:米軍によるアフガニスタンの空爆『アフガンいのちの基金』を設立。アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施した。日本の人々から募金が寄せられ、2002年2月までに15万人の難民に配給を行った。
ペシャワール会は、当初、医療団体として発足したが、留まることを知らない
大干ばつにより現在は、水利灌漑事業に重きを置いて中村哲医師が凶弾で亡くなってからも
その意思を引き継いで活動を続けている。
まだまだ紙面を割いてお知らせしたいことがあるが、中村哲医師の活動に関する
書籍が多く出版されている。映画と共にご覧いただければ幸甚です。
さて、『荒野に希望の光をともす(劇場版)』の公開映写会は、
既に2年前より全国各地で上映されている。当地区(三条市)の公開は、
12月から来年4月迄、新潟県内(県央、新潟地区)で上映される予定である。
チケットは、三条市内の公民館、また、セブンチケットとしても販売している。
今回のブログ掲載は、新潟県の公開上映作品の紹介及び公開告知とさせて頂いた。
■上映について詳しくは下記から
BSN新潟放送|イベント&プレゼント|劇場版「荒野に希望の灯をともす」新潟上映会