寺子屋”ZEN”は新潟県三条市の工具メーカーに勤務40年の丸山善三がお届けするWebメディアです。

田中角栄記念館見学

11月上旬の平日、三条市から車を走らせて45分の柏崎市西山町にある
「田中角栄記念館」に出かけた。当記念館は、かつて政界に大きな影響力を
遺した新潟県の政治家、元総理大臣田中角栄を称えて開設された。
記念館には、常に筆と墨を片時も離さなかった氏を物語るように数多くの遺墨がある。
そして遺品と共に当時多くの陳情客を受け入れた応接間も再現展示されている。
更に1972年(昭和47年)日中国交の道を再び開いた当時の貴重な資料もあり、
氏の生前の面影を偲ぶことが出来る施設である。田中角栄が日中友好条約を締結した
当時の中国の首相が周恩来であった事から周恩来の出身地である淮安(わいあん)
と田中角栄の出身地である西山町はその後友好関係を結ぶことにもなった。
当記念館の他にも見どころある場所がある。

隣接する「西山ふるさと公苑」では、角栄氏の日中国交回復の偉業にあやかって
中国の民族文化の展示コーナーなどを設置し日中文化の紹介を行っている。
又、公苑内にある「西遊館」では、中国の伝統的な宮廷様式を取りいれた
建築物が目を引く。西遊館の前には中国風庭園である西遊園があり、日本に居ながら
中国文化に触れることができる施設が集まっている。

さて、田中角栄は1918年(大正7年)に生まれ、今年で生誕106年目となる。
角栄自身は、1972年(昭和47年)に日中国交正常化を果たすと共に
日本列島改造論を発表し、政治家としての頂点を迎えた。
しかしながら4年後にはロッキード疑惑、9年後には脳梗塞に斃れ自らの政治生命を絶たれた。
1976年(昭和51年)にロッキード疑惑で田中角栄元首相が逮捕されたこの年は、
戦後生まれの人が初めて日本の人口の半数を超えた年でもある。
そして、来年2025年(令和7年)は「昭和100年」にあたる。
思えば昭和の前の年である、「大正」そして「明治」は、私達にとって
本当に遠い存在となってしまう。

昨今の混沌とした時代だからこそ、私はあえて「田中角栄記念館」を訪れたといえる。
しかしながら政治家田中角栄を知る人間もまた少なくなることは寂しい。
ふ、と気づくと時刻は、閉館の午後4時を回っていた。私は後ろ髪を引かれるように
「田中角栄記念館」を後にした。人影少なく、秋霖が白くけぶる日であった。

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