本読みからの小説家紹介
じりじりとした今年の夏は、9月上旬の処暑を過ぎても収まる気配がなく9月中旬迄尾を引いた。
ようやく台風シーズンに入り、お彼岸(秋分の日)を迎えた頃から
秋の気配を感じるまでになった。涼しくなっても何処か体の奥に余熱が残って、
気だるさが抜けない今日この頃である。
10月に入った。10月1日は衣替えである。しかしまだまだ上着を着る気にはなれないようだ。
一昨日の早朝、近くの河原を散策していたら淡いピンクの早咲きのコスモスが咲き始めた。
近づいてみると朝露に湿った花びらがきらきらとして綺麗だった。
コスモスは夏の暑さにジッと耐えて野生の生命力蘇らせた。
如何なることがあっても確実に時節は巡る。そして四季の変化は私達に
生命の息吹を感じさせてくれる。人は、自然と共に生きていると気づかせてくれる。
さて、秋は読書。と相場が決まって久しい。
文化庁が9月に発表した令和5年度の「国語に関する世論調査」で
月に1冊も本を読まない人の割合が62.6%と過去最高になった。
本を読まない一番の理由は、「情報機器で時間がとられ(43.6%)」である。
昨今の読書離れといっても季節が整って過ごしやすくなると本でも
読んでみたくもなるものであろう。私は、現在“趣味は読書”と公言出来る程の
いわゆる本読み(読書好き)である。それは30年ほど前に市内の図書館にある
日本作家の書架である作家の全集(全16冊)に出会った時に遡ぼる。
私は当時、特別に読書への思い入れはなかった。しかし、その全集を大した動機もなく
一巻から読み始めることにした。ところが読み始めたら作品の内容の緻密さに惹かれた。
そして1年後には、おおよそ全巻を完読した。作品の内容は読み応えあるものばかりであった。
その作家の名前が、「吉村昭」でありその全集が、吉村昭自選作品集である。
ここで作家吉村昭について紹介したい。
吉村昭は、昭和2年東京荒川区日暮里生まれ(平成18年死去)
東京空襲も体験した世代の作家である。奥様は、芥川賞作家の津村節子さん。
学習院大学在学中より文学部に入り創作を初め、生涯に371編の作品を送り出している。
昭和期の著名な文学作家といえる。その作風は、几帳面な人柄がにじみ出た
読者の魂に響くものが感じられる。代表作品は、『戦艦武蔵』『関東大震災』
更に2010年映画化され、大沢たかおの熱演で話題になった、『桜田門外の変』がある。
また、戦中・戦後の東京下町を題材にしたエッセイも数多く、
日本人に昭和の記憶を蘇らせてくれる。作家吉村昭としての特徴は徹底した史実調査を
基にした事実のみを描いた作品である。近代日本戦史を題材とした戦記文学という
ジャンルを確立したのは吉村であるとも言われている。
よく比較されるのが、国民的作家とも称される司馬遼太郎氏である。
司馬遼太郎の作品は、史実を脚色して組み立てた作品が多く大衆受けして人気が出た。
例えば司馬の作品には、坂本龍馬などの庶民的合理主義の人物が登場する。
龍馬は、民間組織である海援隊のリーダーとして時の政治を動かす。司馬遼太郎の代表作
『竜馬がゆく』は、そんな龍馬をさわやかな人物像として描き国民的歴史小説となった。
一方吉村昭の描く歴史小説は、人物がなぜそのような行動を起こしたのかに重点が置かれる。
人がそのような行動を起こした理由を歴史的事実は歪めず、その心情を自分自身に
置き換えて作品を作るために膨大な資料を必要とする。二人に共通する点もある。
いずれも若い時、“死”意識した体験をしている事である。
吉村昭は、20代初めに重篤な結核治療のため当時、極めて生存率の低い胸郭成形手術を受け、
左胸部の肋骨5本を切除している。一方、司馬遼太郎は20歳の時学徒出陣で戦地に赴き、
満州国(現在の中国東北部の遼寧、吉林、黒竜江3省)に小隊長として配属され戦争体験をしている。
吉村昭、司馬遼太郎、いずれも本来の小説家としての魅力に富んでいる。
それぞれの作風を比較ながら秋の夜長、大いに読書を楽しんでもらいたい。
近くにある図書館にでも足を運んでは、如何であろう。
尚、吉村昭については、今後機会をみて作品内容等を書かせて頂きたいと思っています。