寺子屋”ZEN”は新潟県三条市の工具メーカーに勤務40年の丸山善三がお届けするWebメディアです。

凧合戦がやってくる…!

-六角巻き凧発祥の地から(新潟県三条市)-

恒例の三条大凧合戦が、今年も盛大に開催される。(今年は30チームが開催予定)
毎年6月第1土曜、日曜の2日間、赤・白組に分かれて技を競い合う。浮世絵風の武者絵、
役者絵が青空を背に空中に舞い乱れる姿は壮観である。

凧合戦に使う凧は、三条六角巻凧(さんじょうろっかくまきいか)と呼ばれ、
平成27年に新潟県指定無形民俗文化財として登録された。
凧(たこ)ではなく(いか)とその名をよぶことに特徴がある。
六角形の凧というものは全国に類がなく新潟県特有のものであり、県外にあるものも含め、
そのすべてが三条で製造されていたという記述のある資料も残っている。

三条六角巻き凧については、諸説、文献から考察できる。以下そのいわれ等を述べてみたい。
長文となるが、滅多にこれらを紹介することがないと思われる為、暫しお付き合いいただきたい。

「凧」と言う文字は中国、韓国では無く、江戸時代に日本で作られた文字である。
鎌倉時代までは凧の日本名は無く、中国名の紙鳶(シエン)と呼ばれていた。
室町時代になってやっと「イカノボリ」、「イカ」などと呼ばれるようになった。

 江戸時代、町民の間で凧揚げが盛んになり江戸、京都、大阪と大人達が凧を揚げ、
喧嘩をして怪我人や死者まで出る騒ぎとなった。
明暦元年(1655年)に幕府より「町中にてイカノボリを揚げることを禁ず」との
禁止令が出ており翌明暦2年には「町中にてタコ揚げを禁ず」と再度禁止令が出ている。

これは京都、大阪の上方に対抗意識を持つ江戸町人が、幕府に対抗しイカでなく
タコだと言って江戸っ子の凧揚げがますます盛んになり凧と言う漢字まで作った証拠であろう。

実際江戸時代の書物では凧を関西では「イカ」関東では「タコ」と呼ばれており
県内では三条市の「イカ」の他、新潟県佐渡ヶ島などでも「イカ」と呼ばれ江戸との
交流以前から「北前船」により京都、大阪地方との往来が有ったと推定される。

 三条六角凧は、いつ頃をもって三条市に起こったのであろうか?

“イカ揚げ山”という地名が三条市内の保内、柳沢間の尾根に存在する。
何故この山が“イカ揚げ山”と言われているのだろうか?

❶この山の奥にある「姫の城」への連絡に、のろし代わりに凧を揚げた場所。戦国時代(約800年前)

❷農作業が一段落した端午の節句に、部落総出で物見遊山に行き凧を揚げた。(700~800年前)

❸近年この隣尾根に「二ツ山古墳」が発見された。中国、東洋仏教では凧揚げは
 先祖の霊を慰めるための行事であることからこの山で凧を揚げ、仏教行事が行われたのでは?
 (1000年以上前)

いずれにせよ、山に登るため持ち歩きが便利で携帯し易い巻凧になったのではなかろうか?
以上から三条六角巻き凧は、700~800年前に発祥したと思われる。

又、米国で発行されている凧専門誌「KITELINES」には
“SANJO  ROKKAKU”として三条の名が固有名詞で世界のタコキチに紹介された。

世界の凧発祥の地は、中国、チベット,ネパールあたりとされている。
これらの地では紙の発見があり竹の産地でもありこれ等が仏教と共に日本に伝わり、
各地で種々様ざまな形の凧が創作された。その中でも三条六角巻き凧は安定感もあり
操作が容易で、さらに畳んで持ち歩きに便利なため海のシルクロードを経て、
ヨーロッパに伝わった。又、この六角凧を使い、1901年にマリコーニは無線の
大西洋横断受信テストに成功している。

けんか凧(一対一の合戦形態)としての三条六角凧《紙鳶(イカ)》の起こりは江戸時代
慶安二年(1649年)村上藩の陣屋が三条町に設置された時に遡る。当時町民の子供達が
陣屋の子供に軽んじられていた口惜しさから、陣屋の子供達が揚げている凧をみて、
鍛冶屋の小僧達が遠くから姿を見せずに凧で糸を操り、空中で陣屋の凧糸を切り飛ばして
日頃のうっぷんを晴らしたのが始まりであるとされている。

子供達の争いが大人同士のイカ合戦に発展し、年一回端午の節句に庶民が公然と
武士階級と争うことが出来た。当初は小さな凧を使った個人の戦いが主であったが、
次第に凧も大きくなり、明治に入ってからは各町内単位で組を作り争うようになり、
ついには三条市をあげての大凧合戦に発展していった。

合戦の形式は「揚げ師」と呼ばれる相手の凧に絡める合戦での花形役に大勢の引手が従う。
揚げ師の横に糸籠を持って凧の調子に合わせて糸を出し入れする「籠持ち」も合戦では
重要な黒子役である。
一対一、空中に糸が絡んだことを審判が認めた時点で合戦が成立し、
引手の出番となる。当然引き手の人数が多い方が有利となるが、凧の位置や風の具合で
微妙に形勢が変わってくる。凧同士の空中線の見応えと共に地上では、
敵味方の組同士で罵声が飛び交う。勝敗は、空中で相手の凧を切断するか
相手の凧を先に落とすかで、其々点数が付く。六角凧は空中での復元力が強く、
多少傾いても揚げ師の技で立ち直る事ができる。
けんか凧が縦横無尽に動く醍醐味を観戦では感じることが出来る。
合戦では民謡「三条凧ばやし」が流れ闘争意欲をあおるのだ。

凧の大きさは、和紙規格の半紙(B4版)を基準として
実際に合戦で使用出来る大きさは半紙30枚(畳2枚半)以上である。

東京下町等でも古くから越後国三条の六角凧は、その利便性からも揚げ親しまれていた。

三条凧ばやしは、凧唄として、昭和35年全国民謡コンクールにも優勝した。
以下、全唄をお披露目したい。

三条凧ばやし

ハッ三条の名物 たこあげばやしは

           元禄五年の男の節句に

    陣屋さむらいのトントンたちが

           あげるイカ見てかじやの小僧め

      負けてなるかとぼろイカ揚げりゃ

           親があとからヤレヤレヤレと

      小屋の空き樽ひきずり出して

          ハッぼっこれるほどにはったきながら

      せ声かけたがこのはやしソレ

 とんびとろろよ大風出せや

    あとで豆炒ってくれるぞえ

       ヤーレコラドッコイショ

              ソーレソレソレ勝ったほうがいい

  とんびとろろか大風出した

    引けや揚がるぞおらが凧

 おらが六角凧千枚張りだ

    けちな奴凧そこをのけ

 飛んだ奴凧一里も二里も

    おらが六角凧力見よ

 守門おろしを肩背にうけて

    おらが六角凧越後一

出典:感動の卓話集「六角巻凧の歴史」久保敏男著

🔽三条凧合戦公式HP
https://www.ikagassen.com/

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