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たたら製鉄の源流

先般、広島地区に出張して、新幹線広島駅の待合ロビーで有数の工業県広島の紹介がされていた。そこには、古来より当地区が地形的にも中国山脈の鉱山から採掘される砂鉄を原料とする「たたら製鉄」と呼ばれる製鉄技術の地であることが、デジタル広報で紹介されていた。以前にも当ブログで鉄について掲載(vol.3″鉄”のはなし)したが、広島で見た「たたら製鉄」についての記事は、一層の興味を掻き立てた。

 今回は、日本から遠く海外に目を向けて「たたら製鉄」の源流について述べてみたい。

 さて日本への鉄の伝来は、紀元前三世紀頃(弥生時代中期)朝鮮半島からであると述べてきた。果たして世界史の中で鉄の起源は、何処であったのか?この問いに対しての答えは、数千年の時をさかのぼり鉄の源流を探っていなければならない。

 鉄と人類との関りは、紀元前三五〇〇年頃であると云われている。隕石の中で遊離した鉄(隕鉄)や地表に露出した鉄鉱石が山火事によって変化した鉄塊を人類が発見したことにより鉄は、人類の前に最初に現れた。

 鉄の利用を考えると国家として史上初めて製鉄技術を獲得し、それらを使用した国があった。時代は紀元前、中東地域である。この国は紀元前十七世紀頃から鉄の生産技術を得とくし鉄製の戦車を戦闘で使い近隣諸国を征服しオリエント世界を席捲した。

その国の名は西アジアの「ヒッタイト帝国」である。ヒッタイト帝国は現在のトルコ中部に位置し他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服したと云われている。更に当時、北進し勢力を拡大していたエジプト王国をも脅かしてきた。   

当時の状況を現代で例えると、ハイテク技術を駆使して軍事力を養いその力で周辺諸国の覇権統治を行ったと云う事であろうか。

しかしながら彼らは、紀元前十七世紀から約五〇〇年後の紀元前十二世紀に製鉄に必要な熱源である森林資源が枯渇しその影響から滅亡を迎えることになったと云われている。その後、彼らの子孫は「タタール人」として受け継がれた。「たたら」は、タタール族が語源となっている。(諸説あり)ヒッタイト帝国滅亡後は、東アジアから四方へ製鉄技術の伝播が起こり、エジプト、西アジア、ヨーロッパ、ユーラシア大陸を横断し紀元前十世紀にはインドに、そして紀元前九世紀には中国華南地方に伝わり紀元前三世紀にはついにユーラシア大陸の東端、日本に鉄の伝来をもたらした。ここでは、日本への伝播ルートである現在のトルコからユーラシア大陸東方に至る経路を詳しく示してみたい。

ヒッタイト帝国から始まった東方への伝播経路は、カスピ海南部のイランのテヘランからアフガニスタンを経てパキスタンを過ぎてインドに至る。更にこのルートはインドのカルカッタからミャンマーを抜け、雲南,四川、長江流域に沿って成都から西安(長安)に入るいわゆる西南シルクロードと呼ばれるルートである。西南シルクロードは北側のシルクロードより古く強い鉄伝播のルートであったと云われている。また西南ルートは「稲の道」とも考えられているルートでもある。稲の伝播は、雲南から長江の流れに沿って東シナ海の海岸線から北上して日本に伝わった。奇しくも稲も又鉄伝来と同時期の弥生時代に日本に伝えられた訳である。

 島国日本は、製鉄の熱源となる照葉樹林と稲作に必要な水資源である多くの河川を有する。更に出雲をはじめ中国地方に連なる砂鉄を産する土壌と米造りの関連性も明らかになった。この様に鉄と稲作の伝来は、稲作に適した風土と気候、それに鉄製農具が及ぼした相乗も加わり、稲作文化の形成へ大きくつながって行くことになった。

  【たたら製鉄の解説
 【世界雑学ノート:ヒッタイト人の文明や歴史を探る!鉄や戦車で勃興した古代文明

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