最後の幕臣「小栗上野介」
2027年NHK大河ドラマ決定
新年度に入った。何かと慌ただしい月であるが、入学式があったり、会社でも入社式や配属の移動があったりとそれぞれが希望に心燃える時節でもある。毎朝通る近所の通学路では黄色い学帽を被り、色とりどりのランドセルを背負った、ぴっかぴっかの1年生の姿が初々しい。
さて、大きなニュースが飛び込んできた。それは、2027年NHKの大河ドラマで「小栗上野介」を主人公とした時代劇の放映が決まったことである。作品の題名は『逆賊の幕臣』とつけられた。
主人公役は、最近、時代劇での活躍が注目される若手人気俳優の“松坂桃李”である。私にとって幕臣「小栗上野介正順」は、20年以上前から注目してきた幕末期の人物であった。小栗家の菩提寺である高崎市(倉渕町権田)にある東善寺にも何度も訪れている。薩長との徹底抗戦を唱えた小栗は、対立する時の将軍徳川慶喜より罷免され権田の地への土着を決意する。その僅か64日後、官軍に「逆賊」の濡れ衣を着せられ取り調べもなく、村の河原で斬首され、小栗が江戸から運んだ家財道具は西軍の軍資金として没収された。小栗が非業の死を遂げるまで仮住まいしたのが東善寺(現住職は村上泰賢)である。現在、地元では東善寺を中心として小栗上野介の顕彰活動が粘り強く続けられている。今回NHKの大河ドラマ化決定は、それら活動の賜物ともいえるであろう。大河ドラマの題名「逆賊の幕臣」は、正に小栗上野介の波乱万丈なる短き人生を言い表しているようでもある。
次に幕臣「小栗上野介正順」その人物を少し紹介してみたい。小栗上野介は、1827年 文政10年、江戸神田駿河台(現在のJR御茶ノ水駅前一帯)の譜代旗本の屋敷に生まれた。彼と同じ年には、西郷隆盛、山内容堂、河井継之助、といった著名な人物も生まれている。時代は、日本列島に近代化をもたらす大きな転換となる幕末期(19世紀中期から末期)である。当時の世界情勢を見てみると、1840年から42年にかけてイギリスと中国、清国のあいだで戦われ、清国が開国と自由貿易を余儀なくされるに至ったアヘン戦争の時代でもあった。更に1853年(嘉永6年)には、アメリカのペリーが4隻の黒船を率いて琉球から小笠原を経由して神奈川浦賀沖に浮かんだ。(ペリー来航)
遂に我が国も開国の道を歩み始める事態となった。しかしながらそのような内外激動の時代にも徳川幕府は、アメリカへ遣米使節団として有能な人材を派遣し海外からあらゆる面で吸収する方策を推進した。実際に遣米使節団は、世界を周遊し帰国した。帰国後、幕臣小栗上野介は、改革を実践し獅子奮迅の活躍を実行する立役者となった。主なる内容を列記してみると以下の様になる。
・我が国最初の製鉄・加工工場、横須賀造船所の建設と近代経営の導入。
・フランス語学校の建設と洋式陸軍制度の採用。
・日本最初の株式会社の設立。(兵庫商社、築地ホテル等)
・新聞発行、郵便制度、ガス灯の提唱
・金札発行等金融経済の立て直し
小栗上野介が幕末の日本近代化の目を開く端緒となったのは、言うまでもない。
しかしながら前段で述べたように幕府崩壊後、勘定奉行を罷免され故郷である群馬県倉淵の地で新政府軍によって維新を見ることなく斬首された。
以上、幕臣 小栗上野介正順について概略を述べさせて頂いた。後に時の西郷隆盛と共に「大政奉還」を成し遂げ、歴史上の功績を上げたとされる勝海舟(小栗より四歳年上)その人物は、よく小栗上野介のライバルとして登場する。それらの関係性は、おそらくNHKの大河ドラマ「逆賊の幕臣」の中で現わされるであろう。折角のドラマ化の機会でもある。ドラマを見ていただき、それぞれに受け止めていただければ幸甚である。
2023年のブログにて「ものづくりと小栗上野介の日本改造」という講演会の紹介をしている。
幕臣小栗上野介の活動が後に燕三条にも恩恵をもたらすことになる。
1本のネジから – TOP BLOG 寺子屋”ZEN”