「本の寺子屋」新時代へ
信州 塩尻市立図書館の挑戦
今回は【読書】【図書館】をキーワードとして話したい。読書は、日常私達が何気なく習慣的に目をやる“スマホ”とは明らかに異なっている。それは、書籍のタイトル等により読者自らが選んだテーマから一定の時間をかけてその内容に没頭する行為である。読書する場所としての図書館は、一番なじみが深いであろう。図書館は、何か書籍を探すために(近年は、学習場所となっている)出かける場所でもある。ところで元来、日本人は本好きな国民である。それは江戸時代に寺子屋が普及し農民、職人、町人に至るまで本を読む習慣が広がったのである。江戸期の本屋は、寺子屋の生徒向けに“往来物”という教科書を大量に作った。その内容も興味をそそるような挿絵等の工夫を凝らしている。旅行のガイドブックや地図もたくさんあった。さらに驚くべきことに世界的に人気のある日本のコミックは、江戸時代において、すでに黄表紙などの大衆本でその形式が出来上がっていた。そもそも絵と物語を結びつけて鑑賞するのは、平安時代以来の絵巻物が作り上げた世界であった。
実は、長野県に旅した時に(前号で紹介)地元の図書館(小布施町立図書館)で偶然に目にした書籍で『「本の寺子屋」新時代へ』の内容が、新鮮であった。当書籍は、「長野県塩尻市立図書館の挑戦」の副題が挑戦1-2と構成されて、2巻に渡りで図書館活動による街の活性化の軌跡が綴られている。塩尻という地名は、かつて塩を運ぶ道(塩の道)がこの場所で終わり、その終点を意味する「尻」を組み合わせて名付けられたという説がある。日本海の塩は、新潟県糸魚川の湊から姫川沿いの千石街道(約120キロ)をとおり塩尻まで運ばれ現在、史跡も遺されている。途中にある中山峠の300mの高度差だけでも当時の過酷な運搬が想像される。塩の他、酒、味噌、発酵食品なども交易された。雪深い内陸地域に住む住人にとって、冬場は漬物や味噌を作って保存するなど、塩は生活に欠かすことのできないものであることから、塩の道は重要な生活路であった。地名に「塩」とつけられた意味は、深い。
塩尻市、長野県中央にある人口6万5千人の小都市の図書館になぜ多くの小説家、詩人、歌人、俳人たちが訪れるのか。図書館活性化の取り組みは、「中心市街地活性化リーディングプロジェクト」として始められた。市民もワーキンググループとして参画し多くの勉強会を重ね、2006年に特徴ある基本計画をまとめた。「本の寺子屋」塩尻市立図書館は、図書館と市民交流センターが一体化している。会話可能なスペースと静粛性の両方を維持している。講座、講演会も寺子屋=学校という本質を重視して毎年シラバスを多くの広報媒体を使って発信している。大手新聞社が、大々的に取り上げて言論、文学関係の多く著名人を招聘したことで徐々に来場者が増えた。以上述べたように塩尻市立図書館は、ごく一般的な取り組みを徹底して取り組み、さらに見直しを続けている。それは、決して空論に終わっていない。館長以下、スタッフが本好きであることも推進力をあげる要因にもなっている。今や全国には約3,000の図書館がある。読書は、ある意味孤独な作業である。しかし読後感を人との交流を通して伝えあうことが新たな発見を生みだす。読書の喜びは、数倍にも大きくなっていくであろう。塩尻市の「本の寺子屋」の試みが全国に広がることが出来たらどんなにか素晴らしいことであろうか。 かつて越後の上杉、甲斐の武田の両雄が、信州長野県を挟んで覇権を繰り返してきた。そこには、歴史の深い溝が刻み込まれて今に遺っている。現在、長野県では、文化・歴史顕彰活動を躍起に取り組んでいると聞く。勿論私達、越後人も大いに学ぶところがあるだろう。
