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アンパンマンと僕(やなせたかし)

NHK総合の朝ドラ『あんぱん』は、今田美桜が主演を務める話題作だ。伝説の主人公、アンパンマンを生みだした、やなせたかしと小松暢の夫婦をモデルとした物語である。日本人の朝のはじまりに寄り添ってきた朝ドラこと連続テレビ小説。その歴史は1961年から始まって64年間にも及ぶ。
毎日、15分、泣いたり笑ったりとドラマの登場人物のエネルギーが一日のスタートに打ってつけであると思う方も多いと思う。

私は、朝ドラ『あんぱん』の放映に併せて『やなせたかしの生涯』―アンパンマンとぼく(梯久美子著、文春文庫)を読ませて頂いた。自分の顔を食べさせて飢えを救うヒーロー、アンパンマン。絵本やアニメに子供は大喜びだ。しかしながら、アンパンマン誕生の背景はあまり知られていない。そこには作者、やなせたかしの戦争体験と、親しい人の死や別れがあった。やなせたかしは、1919年(大正8年)高知県で生まれた。嵩(たかし)は、幼少期に父を亡くし、再婚した母とも別れて伯父の家で育てられる。東京で美術を学び、その後デザイナーとなったものの、徴兵により中国大陸で自ら戦場で飢えを体験し死に直面することになる。重ねてたったひとりの弟が23歳の若さで戦死した。これらの体験が後に「アンパンマン」の誕生につながっていく。当時は、「顔を食べさせるなんて残酷だ」として多くの大人たちから非難を浴びせられた。でも子どもたちは、純粋な心でアンパンマンを愛してくれた。最初は、絵本の中で描いかれていたアンパンマンは、その後、テレビアニメ化されて国民的キャラクターとなった。たかし氏74歳の時、最愛の妻である暢と死別。絶望の淵に立たされても決してアンパンマンを描くことを止めなかった。たかしは、アンパンマンから多くのエネルギーを貰い遂に悲しみから立ち直った。2011年の東日本大震災直後、被災地からラジオ局にリクエストが殺到した。「アンパンマンのマーチ」を避難所で大合唱する子どもたちの姿に当時92歳だった氏は、胸が熱くなり思いを新たにした。それから2年間、94歳で命が尽きるまで、復興のために力の限り尽くしたといわれている。やなせたかし自身は「手のひらを太陽に」(作曲・いずみたく)の作詞を手がけるなど詩人としても知られている。昨今の時代であるからこそ国民的アニメ作家でもあるやなせたかし、その人物の感動の生きざまは、知るに値すると思う。アンパンマンは、多くの仲間たちとこれからも私達に希望の光を与え、見守り続けてくれるであろう。

“天才であるより、いい人であるほうがずっといい”―やなせたかし

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