寺子屋”ZEN”は新潟県三条市の工具メーカーに勤務40年の丸山善三がお届けするWebメディアです。

旧友と味わう旅情

山形庄内の旅

9月も中半を過ぎるとあっちこっちで稲刈りが始まる。新潟では、「早生(わせ)」の品種から順次、刈り取りが進む。刈り取りについては、「黄化率」を目安としているらしい。「黄化率」とは、稲の穂が黄色く変化する度合いである。これが、85%~90%以上となると稲刈りである。しかしながら収穫期に気象条件が定まらず悪天候が続くと当然収穫に影響を及ぼす。新潟のブランド米「越ひかり」は、収穫時期が、最後となるため台風シーズンと重なり生産者を悩ませている。私達がいつも美味しい新米を口にできるまでに多くの手間が係っている。昨今の「令和の米騒動」からみても米が、日本人の主食であるだけに消費者は、お米について敏感にならざるを負えない。

本格的な秋の行楽シーズン控える今日この頃、高校時代の友人とお互いに申し合わせ一泊のドライブ旅行を楽しんだ。お互い会社リタイヤ組であるため格安の平日プランである。既に私達は、高校を卒業して50年を超えているが、道中の会話も、お互いに「○○ちゃん…」と呼び合いながら気持ちも当時のままなのである。旅行地は、友人の父親の実家がある山形の庄内エリアである。行程も出発地(三条市)から高速を乗り継いでも正味3時間程度である。村上市の少し先からは、高速道路が一般道に変わる。風光明媚(奇岩が多い)な海岸線が連なる。私達もしばし会話を止めて初秋の日本海の風景を楽しむことになる。日本海に映る陽光が眩い。

さて、山形、庄内の旅の中心は、東北最大の面積を誇る鶴岡市である。当市は、江戸時代、庄内藩、鶴ヶ岡城の城下街として栄えた。更に庄内地方は、近隣に酒田湊を有し、江戸時代には北前航路の重要拠点でもあった。戊辰戦争では、劣勢な東北諸藩の中にあって新政府軍を相手に最後まで一歩も引くことなく戦い続けた雄藩でもあった。以下、私達が訪れた市内の観光名所を簡単に紹介したい。

鶴ケ岡城主、酒井家が居城した城。東に流れる内川を堀に見立て、家中屋敷からなる三の丸が置かれた。戊辰戦争の後、城は解体され、明治9年(1876)、本丸・二の丸跡は鶴岡公園となった。堀や土塁に城の面影が残る。本丸御殿の跡には、酒井家四柱を祀る荘内神社がある。

鶴岡市出身の時代小説家、「藤沢周平」の作品から氏の足跡を辿ることができる。自筆原稿や創作資料、愛用品を展示しながら、藤沢周平の作品の世界と生涯を紹介している。多くの作品を執筆した氏の書斎を移築・再現している。

東北地方の南西部の山形県鶴岡市にある人気の水族館。世界から注目を集める展示をクラゲに特化している。過去にはクラゲの展示種類数で、ギネス世界記録に認定されたこともある。幻想的な世界が広がる魅力ある水族館である。尚、加茂水族館は、11月から来年4月までリニューアルオープンのため休館する。

善寶寺は、海の守護神である龍神を祀る龍神信仰の寺として知られる。特に航海安全や大漁祈願の漁業に従事する方から厚い信仰を集める。境内には、「魚鱗一切の供養」を目的とした五重塔などの貴重な建築物が多くある。神秘的な雰囲気の漂う貝喰の池は、二龍神が身を隠したという伝承が今も語り継がれている。1990年頃には、この貝喰の池に住むコイが人面魚のようだと話題になった。

ところで私達の宿泊は、江戸期に開湯したと伝えられる、「あつみ温泉」である。ここは、古くから文人墨客も訪れ、松尾芭蕉、与謝野晶子、など、小説、詩歌に数多くうたわれている。平日の宿泊ということもあって、宿泊客も少なく落ち着いて東北の温泉を楽しむことができた。翌朝の朝食では、バイキング形式で郷土料理が味わえた。

  旧友との旅は、気兼ねすることなくあの頃(高校時代)に還って語り会えることが叶った。

「少年老い易く学成り難し」月日の過ぎ去りは早い。私達は、その時の流れに驚き、感慨深くなって、そして、切なくもなってしまうものである。

皆さん思い切って、学生時代のアルバムを引っ張り出してください。そして、旧友との再会を試みては如何でしょうか。年を重ねても「あの頃…」に戻って語り合うことができるはずである。

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