昭和100年と戦後80年
先祖を想う
9月の声が聞かれてもまだまだ残暑は続く。普段は全く気にしなかったが、そういえば夏は、いつも素足のままである。靴下を履いていない。この時期は、足の裏を普段より丁寧に洗おう…。と、つい考えてしまう。いつかある著名な作家が、「私は、入浴しないときでも、必ず足は、洗うんですよ」と話していた記事を読んだことを思いだした。というわけで、わたしもこれからは、年中自分の足の裏を気に止めることにしてみたい。何せ足の裏は、大地と自分を繋いでくれる大切な体の一部であるから。
今年は「昭和100年」にあたる。100年前にあたる昭和の初期といえば、関東大震災(1923年大正12年)の復興期で、日本は、国内不況と世界恐慌に直面していた。資源を持たない日本は、中国大陸の満州を頼ったが、結局これが遠因となって日中戦争が勃発し、世界大戦の端緒をつくってしまった。さらに今年は、「終戦80年」でもある。8月15日の終戦の日には、国民に向けて天皇陛下が、亡くなられた多くの方に対して追悼の言葉を述べられた。そして多くの終戦特集番組がお盆の間、流された。この日が過ぎると私達国民は、「この戦争」を遠い昔の出来事としてまた忘れ去ってしまうのであろうか…。
ところで、NHKの高視聴率番組である「ファミリーヒストリー」は、著名人のルーツを探り、ご先祖様の生き様に感動を与えている。祖先を調べる中では、必ずと言ってよいほど戦争の体験記録が語られている。さて、私自身もお盆の時期になると幼少の頃を思い出す。両親に連れられて親戚の家に「お盆参り」行くと、仏壇の周りには、幾つかの遺影が飾られてあったものである。その中の若い遺影が目に留まった。その写真は、軍服を着ている少年兵の笑顔の遺影であった。時に、親戚の祖母が遠く南方の海原に散華した遺影の当人(自身の子供)のことを感慨深げに語っている姿であった。今におよんでは、当に祖母と祖父は鬼籍になり、その事実を語る人もいない。今思えば、太平洋の中部・南方海域(おそらく激戦地のソロモン諸島と思われるが)で戦死した、遺影の少年兵の遺骨は遺族に届けられていないであろう。先の大戦中で海外、沖縄、硫黄島(東京)で戦死した約240万人のうち半数近い約112万人の遺骨は未収容であるといわれている。厚生労働省によると今年7月末時点でフィリピンの36万6千柱、ノモンハンを含む中国東北地方の20万6千柱、サイパン島など中部太平洋にある17万2千柱の遺骨が未だ収容できていない。30万柱は海に沈んでいる他、23万柱は相手国の事情などで収容困難な状況が未だ続いている。
以上、毎年お盆の時期になるとこの様に戦争そのものを語るだけで何もできない自身に多少の不甲斐なさをも感じている。せめて先祖が戦争に関わった事実を後世に繋いでいく努力は、忘れないようにしたいと思う。
最後に拙著『父母のことば、恩送りー家族の時間』(22世紀アート出版)には、戦時下を体験した家族(祖父、祖母、両親)の記録を綴っています。読者の皆様のご先祖に思いを馳せる機会となるかもしれません。ご興味ある方は、ご一読いただければ幸いです。