みちのくの旅
平泉中尊寺・下北半島恐山参拝
坐禅会に通っている曹洞宗の企画旅行“恐山参拝とみちのくの旅2泊3日”に参加した。「人生100年時代到来」ウキウキしながら旅に出かけることは、正に心身共にリフレッシュすることが出来るのではないだろうか。私自身、勿論平泉中尊寺、下北半島恐山も行ったことがない。更に恐山参拝も興味を引き付けられる。新潟県からみると宮城県仙台から先は、本当のみちのく(道の奥の土地)を感じる。以下、おおまか内容を説明したい。
30余名を乗せたバスツアーは、早朝6時に三条市を出発した。心配された降雨の影響もないようで一安心。高速を関越道から磐越道に入り、福島県郡山ジャンクションを抜け東北道を一路北へ目指す。お昼前には、順調に世界遺産でもある中尊寺に到着した。中尊寺は、850年に比叡山延暦寺の高僧である慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)より開かれた。そして、12世紀初頭に奥州藤原氏初代の藤原清衡が、大伽藍等大規模な造営を行って現在のような姿に発展した。その後、奥州藤原氏は、二代基衡、三代秀衡、更に四代泰衡と続いたが、泰衡の時代に源頼朝の圧力屈して奥州藤原氏は滅亡した。観光としての中尊寺の見どころは、中尊寺金色堂である。中尊寺金色堂は、初代の藤原清衡の時代(1124年)に建立され全体を金箔で覆い、当時の技術を結集した国宝である。第1日目、私達は下北半島の付け根にあるまかど温泉で宿をとった。この日は、約680kを走破した。みちのくは、広い。
第2日目は、いよいよ恐山観光である。青森県の二つの半島(津軽、及び下北半島)の東にあって、陸奥湾を囲む大きな半島が下北半島である。バスは、下北半島の北に位置するむつ市から20分(約15K弱)森林地帯の道路を進みようやく恐山入口に着いた。かつては、徒歩(4時間以上)で通ったのであろう。途中、旅の疲れを癒す恐山冷水が湧いている。恐山は、比叡山・高野山とともに日本三大霊山の一つである。 外輪山に囲まれた霊場は、外部から見る事の出来ない途絶された場所であり、三途の川にかけられた太鼓橋を渡って霊域に入ると、死後の世界のような風景が広がっている。更に周囲は、活火山で硫黄の臭いがしている。カルデラ湖である宇曽利山湖の湖畔には、恐山菩提寺が存在する。霊場内に温泉が湧き、共同浴場としても利用されている。恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、古くから崇敬を集めて、山中の奇観を仏僧が死後の世界に擬したことにより参拝者が増えて信仰の場としの観光地となった。明治・大正期以降には「恐山に行けば死者に会える」などが俗信されてきた。毎年7月に開催される恐山大祭には、「イタコの口寄せ」が行われる。イタコは、東北地方で死者の魂を伝えるとされている巫女のことである。口寄せとは、死者の言葉をイタコが代わって発することである。恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。また恐山菩提寺はイタコについて全く関与していない。イタコは、八戸や、青森から恐山の開山期間中にのみ出張してきており、むつ市には定住していない。これらの内容は、参拝者に都度説明されているようだ。
私達は、幸運にも恐山参拝で著名な副住職「南直哉」氏の説明を聞くことができ、大満足の参拝を叶えることができた。恐山参拝を終えた2日目は、盛岡の奥座敷、つなぎ温泉に宿泊した。ここは岩手山を望むダム湖の畔に位置しており、風光明媚な宿であった。最終日、私達はホタテ・イカ等の下北の海産物や、宮城の牛タン等お土産に鞄を膨らませ帰路に着くことができた。
今回は、坐禅会の縁でみちのくの旅に行く幸運に恵まれた。改めてここに至ったことに感謝しながら「人生100年の旅」を続けていきたいと思っている。
合掌