托鉢の体験
2月15日はお釈迦様が亡くなられた日
昨今のニュースで気になる事は、各地で多発している「大規模な山林火災」である。一旦発生が確認されると住宅地への類焼を食い止める事が最優先となる。しかしながら山間部の夜間の消化活動は、送電線等多くの障害物との接触の危険から基本的には行っていないらしい。結局は、天の恵みである“雨”が頼みとなる。不安な夜を過ごされている地元の方々には、早期に延焼が食い止められ、そして鎮火することを祈るばかりである。
さて、3月20日は、春の彼岸「春分」である。「春分の日」は 「自然をたたえ生物を慈しむ日」であり、お彼岸の中日でもある。太陽が真東から昇って真西に沈むとされる。その際、西に位置する出雲大社(島根県)から大山(鳥取県)、元伊勢(京都府)、竹生島(滋賀県)、七面山(山梨県)、富士山、 寒川神社(神奈川県)、 玉前神社(千葉県)の上を太陽が通り一直線で結ばれる。この現象は『ご来光の道』と呼ばれているそうである。彼岸とは仏教用語で「向こう岸」で、煩悩を脱して到達する涅槃(究極のやすらぎ)の境地という意味である。それに相対して「此岸(しがん)」は、生死の苦しみに迷う現世を指す。春分、秋分は、昼夜が同じ長さとなって、太陽が真西に沈む日である。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる通り、この時期を境に季節が落ち着いてくる。
前段が長くなってしまった。今回の題材は、 “托鉢”の体験である。托鉢とは、僧が修行のため、鉢(はち)を持って、町や村を歩き、家の前に立ち、経文を唱えて人々から米や金銭の施しを受けて回ることである。日本では、主に臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などの寺院で実践されている。私が、坐禅に通っている近くの寺院(曹洞宗)では、お釈迦様が亡くなられた日(2 月15日)の行事(涅槃会)として、例年3月の第二日曜日に托鉢としての修行を行っている。私は初参加である。当寺院ではこの行事が100年をゆうに超える前から行われているとのことにまず驚いた。今回は数名の小学校生(中学年以上)が参加していた。その中の1人、小学6年生の男児は既に3回目との事であった。
托鉢、その装束は網代笠を被り、頭陀袋(ずだぶくろ)を首から掛ける。ここで使う頭陀袋は、米や金銭の施しを受ける入れ物であり食事を盛り付ける「応量器」に該当する。更に、手に合図の鐘を携える。さて、いざ托鉢出発となった。私たちは、参加した子供たちを先頭にして予め知らせてある檀家さんを中心に各家を回る。子供たちは、各家々の玄関に立つと、一呼吸おいてから右手に持った鐘を振って托鉢を知らせる。家の人が出てくると決められた口上をお唱えする。
「涅槃会釈迦之托鉢 / ねはんえ しゃかの たくはつ」である。
このお唱えが終わると家々では、浄財やお米、時にはかわいい来訪者を労ってお菓子等を頭陀袋に入れてくれる。「今年もありがとう…」と。
私たちは、ありがたくお布施を頂いた。托鉢の業は、家々の無病息災も祈願している。今年の托鉢も最後の家を終えて、頭陀袋は浄財、更にお米やお菓子でいっぱいになってしまった。今年の托鉢も無事終了することとなった。私たちは、腹ペコのお腹と冷えた手足を地元の温かい新潟ラーメンで癒した。何事にも例えようのない体にしみる昼食を頂いた。一つの業をやり遂げた子供たちの真っ赤な顔は、満足感で溢れていて見ていても気持ちが良い。
ところで、托鉢で頂いたお米は、その後、お寺に関わる女性の方を中心として大きなパチンコ玉状に丸められる。(佛舎利団子)それらは、改めて「涅槃会」のお寺行事として本堂内でまかれる。毎年地元の子供たちが心待ちにしている行事の一つでもある。 この曹洞宗の寺院で長きにわたって続けられてきた托鉢、団子まきは、決して絶えさせてはならない地元に根着いた伝統の行事なのである。何よりも参加した子供たちのキラキラした目が感動を与えてくれた。そして、私自身托鉢行は、機会があれば一度は体験すべき行であるという思いを新たにした。
合掌